今年はいつもの年より花粉が多いです、くしゃみで目覚めます。
時代は大阪万博、1970年です。香田家は吉乃ちゃんが岡さんと結婚し、タカちゃんと茂さんの一人息子大介君もわんぱく坊主になりました。タカちゃんも手を焼くふてぶてしさ、いったい誰に似たのでしょうか?(笑)そんな中、克子姉ちゃんは昔と変わらず若々しい奥様ですね。萬平さん達はまんぷくラーメンを超える新商品を開発されるのですね。今から楽しみです。小学生の頃、スケート場で自動販売機の即席ラーメンを食べるのが凄く楽しみで今でも忘れられないですね。
忠彦さんの絵はパーラーにも飾られていました。30万円で購入したい人も現れたそうですが、サラリーマンの平均月収が11~12万円のころの話です。これは「画伯」の呼び名が相応しいです。画伯たるもの、美大に(非常勤)講師として後進の指導に当たるのも当然です。名木さんのことを「新しい弟子」と呼んでいたので、前にも香田宅を訪ねた人がいたのでしょう。あのモデル2人の時とは打って変わって、家の人たちもさして気にしていませんね。
注目の吉乃さんは、岡姓に変わりました。なぜ岡さんを選んだのかは、どこかで明らかにしてほしいです。岡さん・森本さんは太陽の塔の前で肩を組んでいたので、正々堂々、恨みっこなしで決着をつけたのでしょう。そして、吉乃さんは香田家を出て、住んでいるようです。今週は克子さんの髪が短くなりました。先日のBIGINさんライブのブログの写真で、そんな予感はしていました。
「日経リュクス」というウェブサイトに、インタビューが出ています。「ぼくいこ」についてのものですが、お母さんについて尋ねています。今までいくつかのインタビュー記事を読みましたが、ここを質問しないのが不思議なくらいでした。奈緒さんは母親似で、30代になってからはどちらが母親なのかわからないこともあるそうです。まんぷくでも、克子さんの「鈴さん化」が指摘されていますが、あまり悲観的なことを言わないのが救いです。
奈緒さんは「おかあさんといっしょ」に生活しているため、母のいない世界がイメージしにくいそうです。わたしの場合は、手遅れの宣告を受けてから、死去するまでの間が短く、アルバムの整理をする暇さえありませんでした。介護期間が短いという意味ではいいのかもしれませんが、「ああすればよかった」という後悔の念は持ち続けています。














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